藤森泰司さんの場合 <1>


Photo:吉次史成


ウィンザーチェアの世界へと導いた一脚

藤森:僕が最初にウィンザーチェアを作りはじめたのは、 *1《SIDE》というデザインチームのメンバーと集まって、「AXISギャラリー」で開催した展覧会がきっかけでした。
僕と、建築家でデザイナーの寺田尚樹さんとで「chair+(チェアプラス)」という展覧会をディレクションしたんです。タイトルにある「プラス」は、椅子をデザインするきっかけやコンセプトを意味していて、椅子を展示するだけでなく、その発想の元や生み出された背景、使われるシーンなどを会場で表現し、ものが生まれるストーリーを伝える展覧会でした。その時、初めてウィンザーチェアを作ったんですね。


▲ 「chair+(チェアプラス)」展覧会の様子/2010年


何年のことですか?
藤森:2010年です。そのとき僕にはずっと気になっていた椅子があって。デンマークの *2「FDB」、日本でいう生協のために、 *3フォルケ・パルソンがデザインした *4「J77」です。当時の日本ではあまり知られていなかった小ぶりのウィンザーチェアなんですが、椅子の形式より先に、スケール感がすごくいいなと思っていたんです。日本でダイニングチェアというと、ゆったりした椅子をデザインすることが多いのだけど、僕は、椅子は生活によって色々なスケールがあっていいんじゃないかと思っていました。ゆったり腰かける椅子、玄関先でちょっと腰かける椅子、ヨーロッパには多様な椅子がある。椅子文化の懐が深いからかもしれないですけど。
たしかにそう感じます。
藤森:「J77」は、僕にとっては感じたことがない座り心地を備えていたんですよ。なんかこう、吸い付くみたいな、ピタッとくる感じがして気持ちいい。それに驚きました。
そうなんですね!
藤森:2009年ぐらいですかね、その椅子をアンティークショップで見つけて買ってきました。そして、僕はよくやるんですけど、細かく測ること、要は実測作業をして寸法を把握したんです。
解体ではなく?
藤森:解体はしなかったです。実測経験をもとに、現代的な素材である合板を使用して新たな椅子のデザインを試みました。

*1 デザイナー、建築家、編集者、ライター、プロデューサーで結成したグループ。
メンバー/粟辻美早、五十嵐久枝、内田みえ、小泉誠、寺田尚樹、長町美和子、萩原修、藤森泰司、村澤一晃、若杉浩一
*2 デンマーク生活協同組合連合会(現在のCoop amba)。1942年に家具会社FDB Møblerを設立し、1980年に一部生産を中止。
絶大な支持を受け、2013年にデンマークにて再始動。
*3 Folke Pålsson(デンマーク、生年不明)FDB Møblerのためにデザインを手がける。
*4 「J77」は、フォルケ・パルソンのデザインによるダイニングチェア。2011年に<HAY>より復刻された。



▲「J77」 / フォルケ・パルソン


《WD》誕生。懐かしくて新しい、独特の魅力と空間性を探る

藤森:その設計中でしょうか。(ドリルデザイン)林さんによく会って椅子の話をしていたんですけれど、気になっている椅子のひとつにウィンザーチェアという形式がある、と聞きました。
えーっ!今、僕もウィンザーチェアの設計しているんだという話をしたら、ならば、もっとお互い研究してみようっていう話になりました。ウィンザーチェアが気になった要因というのが林さんの場合、ちょっと牧歌的で、どこか懐かしい感じもするけれどモダンにも振れる。なんなのだろうこの感じ、っていうこと。僕自身はそれもあったけれど、当初の興味はスケール感や座り心地でした。その心地よさがどこからくるのかを探ろうと寸法を測ったり、スピンドル(スポーク 丸棒)で支える背に抜け感があることから生み出される空間性みたいなものに興味があったので、それについて考えていた。じゃあ一緒に研究してみようかっていうことになり、それが最初ですかね。
なるほど。ウィンザーチェアについては、なにか醸し出す雰囲気があると、それは私たち使い手も感じます。スケール感や空間性については、今お聞きしてなるほどと思いました。
藤森:そうですね。みんな、えも言われぬ独特の雰囲気が好きなんですけれど、「好き」で終わらせてしまうと好きの要因が分からない。研究者なら、なぜこういう気持ちになるのか、なぜ、いいと思うのかということを研究して論文や書籍にします。ただ、僕らはデザイナーなので、自ら現代的なウィンザーチェアを作ってみて、その感覚を探りたかったんです。その実践が、まさに「リ・デザイン」なのかもしれないですね。
不思議だと思うのが、例えば子供のころに使っていたとか、特にそういうわけでもないのに、なぜか懐かしいと感じるっていう。
藤森:そうですよね。僕も家で使っていたわけではないです。 それなのに、多分記憶のなかでみんなの記号になっているというか…。僕の金属を使った椅子「Tremolo」はそのイメージなんです。子供に椅子を描かせると、こう描いてちょんちょんってやってピッて描くような、椅子の一つのタイプとして、おそらく色々なところで見ていたと思うんですよ。街中で見たり、おばあちゃん家で見たり、それが記憶にあるのかもしれないですね。
そうですね。例えば子供にちょっと描いてもらってでてくる椅子って、記憶というか、集合的無意識のようなものと結びついているように思うんです。だから、様々な人に無作為に椅子の絵を描いてもらう実験をしたら、いろんな椅子が出てくるでしょうけど、意外とウィンザーチェアの形が出てくるかもしれないと思ったり。
藤森:出てきたらいいですね。


▲ 「Tremolo」のスケッチ


椅子の原型みたいなものでしょうか。
藤森:タイポロジーとしては世界中に広まったひとつの形式ではあるので、たぶん椅子を使っている国の人たちのなかにある景色の一つではあると思うんです。ここ10年ぐらいで日本ではウィンザーチェアの人気が復活しているから、若い夫婦の家にあったりして今の子供たちの方が親しんでいるかもしれないですね。


▲ 「Tremolo」


ウィンザーデパートメントは、これまでどのように活動されてきたんですか?
藤森:まず僕とドリルデザインで意気投合し、その後イノダ+スバイエの二人を誘いました。二人のヨーロッパ的な視点、僕らとは違う視点が入って、一緒にやったたら面白いねってことで。
スバイエは、「リ・デザイン」をよく知るデンマーク人です。コロナ前には、猪田さんは年に数回日本に来ていたので、その都度集まりました。ほぼ同世代でいろんな椅子の話を忌憚なくできて、ウィンザー・デパートメントのことはもとより、今こういう椅子が面白いよねとか、あれぜんぜんダメだよねとか、集まって椅子の話をできることは単純に楽しく貴重な機会で。それでじゃあ次はこういうのをやろうかっていうことにつながる。展覧会は、最初の頃は1年ごとに開催していたんですが、誰に頼まれるでもなく作っているわけで、ギャラリーを借りたり、とそれなりに体力を使いましたね。
イノダ+スバイエはイタリアから椅子を持ってこないといけないので、それもあってノックダウン式のウィンザーを日本で組み立てて展示するという方法を考えました。そういう理由があるから新しいものも生まれるという気がするんです。



▲「Windsor Department first exhibition」 / Photo: Yuki Omori


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